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年の瀬

ということで、なるべく日々「普通」に過ごしているのですが、感情を大きく動かさないようにしていると、いろんなことがただ駆け抜けていく感じになり、「いろいろあった気がする」ぐらいのかすかな記憶しか残っていないのですが、写真で振り返ってみると春夏秋冬と、興味のある場所を訪れたり、食べ物を食べたりして、特に何がどうということもない平凡な日々が過ぎてました。御の字です。

 

以前と比べて楽しいな、という勾配があると幸せ感が増すように思うので、昔のことはちょくちょく思い出します。

 

冬の寒さはとにかく耐える、寒さを乗り越えてこそだと教えられ、豆炭アンカと小さなストーブで冬を乗り切っていた頃がありました。

世間がバブル真っ盛りの中、自分んちだけは戦前の暮らしを理想とする、過激思想?を持つ親だったんですね。ガス湯沸かし器はあったので、風呂を沸かすのに薪をくべろといわないのだからありがたいと思えと常々言われてました笑

 

確かに親戚の家の中には当時まだまだ古風なところもあり、五右衛門風呂に薪をくべたりもしてました。子供の頃一度入れてもらった時、釜が熱くてぎゃーっとなったことを覚えています。石川五右衛門の話が人ごとではないなあと思ったもんです。

 

私の先祖は、追手を逃れようとする人が住み着くタイプの四国の山奥のさらに奥の出のようで、末の方の子供であった私の祖父の祖父が食うに困ってか山を出て瀬戸内に降りてくらしはじめたということらしいです。家系図も何もない親戚からの伝え話ですが、その山奥に私の(ややレアな)旧姓と同じ名字の一族が住んでおられて、大学時代に訪ねて行ったことがあります。宿の人にその話をしたら、すぐさま連絡を取って下さり、(そんなつもりは毛頭なかったのですが)親戚一同急遽集まって大歓待して頂き、さらには泊めてもらったりもしました。なんとなく家の空気が似ていたので、先祖がそこ出身というのはきっと本当だと信じています。

 

厳しい環境で隠れ住む一族、その中から逃げ出るような感じで新天地を求めたであろう祖父の祖父、と思うと、自分の遺伝子にはいざとなったら思い切って動くという要素があるんだろうなと思います。

 

先日例によってYoutubeでそぞろ動画を見ていたら、その山奥に外国人観光客がたくさん訪れているという動画がありました。古民家が宿になっていて、まさに薪を割って五右衛門風呂で入浴して郷土料理を食べていたりいるのが映されていて、時代の流れの妙に唸りました。

(私が訪れた頃は誰も見向きもしてないように思た日本の山奥の文化を、遠い国の人たちが大喜びして体験している!ってことで)

 

大学時代はそんなこんなで、古典芸能をやったり、伝統医学に興味を持ったりしつつも自分が何者か全然分からず、ちょっとでも親和性を感じる人や本や映画などを漁っていました。両親とも全然価値観が合わず、学校にもコアな興味の部分で話が合う人は皆無に等しく、思うところを語ると諌められたり説教されたりドン引かれたり、まあなんかとにかく内面暗黒時代でした。単に若かった、ってことかもしれませんが。

 

その後一旦意識的に周りに染まることにして適応を図りましたが、最終的には全然染まりきってはしまえず今に至り、今なお内面はいわゆる世の中には全然そぐってないなと思います。

多分今後も多少の違和感を感じつつ、かといって大きな声を上げるでもなく適当に生きていくんだろうと思います。それ自体が人生の妙なのかなあとか思いながら。

 

最近はそんなどっちつかずで半端な自分を否定する声が聞こえにくくなり、これはこれで何なりと意味があるんだろうと思えるようになりました。

 

そんな感じで価値観は人それぞれと思いつつ、とりあえず、寒さとか艱難辛苦とかに耐え忍ぶことで人間が磨かれる、ひいては良い世の中になるという(一部のストイック派の人に好まれる)考え方は、思われているほど至高のものではなく、単に趣味の領域という自分の中での結論に達しています。

 

身体にも精神にも許容範囲みたいなのがあって、それは意外と狭くて、でも自分なりに「こうやってたら快適」ていうのに到達するのを目指すのがオススメで、そしてその範疇で平和にヌクヌクしていても、バチは当たらない、どころかむしろ人に寛容になれて平和に近づく気がしています。

そういうあり方は、健康にも明らかに寄与します。

 

健康だけが目標というのも皆にとっての正解ではないし、健康のことを案ずるばかりに本末転倒になってもよろしくないし、もっと他の優先すべき価値観、人生観があっても全然良いと思います。

 

人それぞれの考え方を尊重しつつ、それでも何かが健康で楽しい人生になるための差し障りとなっている場合には、そこに改変を加える提案をすることを今後も仕事にしていきたいとは思っています。

 

諸々の薬や手法は、本来はそのための道具です。薬や何かの限られた手段手法が、シンプルに誰かを幸せにするというわけではないってことですね。

 

何なら「幸せである方がよい」ってのも一つの価値観でしかないんですけどね!

 

文章が長い、と人々からご指摘を受けるので心して短くするようにしていて、でも言い切ってしまうと語弊が生じまくることが懸念され、ゆえに意味不明なブログをしばしば書いてきましたが、今回は年末スペシャルってことで笑ちょっと長めに、やはりちょいと意味不明気味の自分語りをしました。

大学時代に自分がよく書いてたのもこんな感じの文章だったと思います笑

(昔の知り合いに、文章が変わってない!と微笑まれます…)

 

 

さて、適当に換気扇を掃除して、適当に年末っぽい気分を味わおうと思います。

皆様も良いお年を。