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移動して、新しい環境に馴染むのは大変ですよね… ずっと一緒のやり方でOK!!だったら楽ですが、ところかわればまるで違う環境で、自ずとやり方を変えざるを得ません。

 

変えなきゃ変えないでいろいろ言われうるし、変えたら変えたで軽いとか適当とか言われうる。

みんな好き勝手言いますからね…

 

でも昨今思うのは、何は言っても自分基準でやらないと、結局うまくいかないってことです。

 

心がどう思ってどう動きたがるか、

実は当の本人にも制御不能で、それに従うほかないんですよね。

 

教育や訓練などなどで、この「心の動き」をなんとかできそうな気がしてしまうので、みんな頑張るんですけど、無理なもんは無理で。

 

「人(の心)をなんとかしたいがならない」

「自分(の心)をなんとかしたいがならない」

というところから発生する悩みはごまんとあり、

それに対する結論は「なんともならん」

なんだなあと思うのです。

 

人の心も自分の心もなんともならんのであれば、せいぜい軽く水やりするぐらいにしておいて、

なんなら水やりの過程を楽しむぐらいで、

あとは太陽を浴びてどう育っていくか見守るぐらいしかできなくて、

でもそうしていると、可愛い新芽が出てきたり、

何だか思った以上の立派な枝が出てきたり、綺麗な花が咲いたりして、

うわあ、びっくり!ってなるのかもしれないと思います。

 

ただいま格闘中!という時には何を悠長なことをいうてまんねん、

それどころじゃないから、となるかもしれませんけど

最終的な落とし所は多くの場合、自然が見せてくれてるような、

 

時に急峻、たいてい悠長 というスピード感で展開される

なんかよくわからんけどこんなもんなんかな、でもよく考えるといいよね

ぐらいの日々なのだと思います。

 

若い頃に老荘思想の本を読んだ時、ここには老後にリターンしようと

思ったような気がします。ものすごーくかすかーな記憶ですが。

とりあえず、目の前の課題を全力でこなすしかない!!っていう状況でしたから。

 

そんで、予定?通り、リターンしたのかもしれません。

いや、まだしきっていないかもしれません。

 

夏っぽい南国っぽい花の写真を眺めていて思ったのは

多分人はその生きる過程において、いろいろ変わってもいいし、

変わっていかないとしんどい時もあるし、

変わりすぎてもしんどい時あるし、いろいろやけど

ふんわりと、そこもこれも結構面白い経験やなあ

で最終的にまとめるのが最強かもということでした。

 

きっと、この南国の花も、どういう経緯でここに来たか

その途上でいろんなことあった気もするけどなんだっけって、

ようわからんながらも、楽しく咲いているんじゃないかと。

 

なんか何べんも同じ話書いている気がしますが、

気にしないでください。

(過去のブログ一度も読み返していません…前進あるのみです)