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すきずき

こちらの写真は、御所(京都御苑)におられる(推定樹齢)大先輩の木です。

 

長年、御所の木の中でこの木が一番好きだなあと思っていましたが、このレベルの新緑の姿で拝見したのは、実は今回が初めてでした。

 

貫禄たっぷりの枝々に、初々しい新芽がぽちぽちと顔をだしているのが、なんとも言えず素敵です。

 

発芽以来、どれだけの風雨を超えてこられたのか想像もつきませんが、秋冬には一旦さっぱりと断捨離されて、春にまた一から葉を生やすという生き方も、潔いものですねえ。

 

健康で元気に生きること、ももちろんですが、必ずしも満点健康でなくとも人生をいろんな形でそれぞれに楽しみながら生きること、が大事なのだろうなあと思う今日この頃です。

 

それぞれに楽しく生きるのに、やはりなんらかの支えというものは必要で、その支えにもいろんな形、いろんな種類があるのだろうと思います。

 

出会った人であることもあれば、本の一節かもしれないし、現代ならweb上の情報かもしれない。音楽かもしれないし、絵や写真かもしれないし、映画かもしれないし、自分自身が出会った光景かもしれない。すごく幸せだった体験そのものかもしれない。

 

さらにはその掛け合わせかもしれません。

 

わたし自身の例でいうと、部活帰りによく見た、とある色の夕方の空と、一定の音楽(高校時代にどハマりしてた歌とか)とがしばしばリンクしていて、それらをセットで脳内再生すると一瞬永遠の16歳に戻れるのですが笑

そういう時代があったことを今の自分が思い出せるという、この「時をこえる」感じがすごく好きで、それだけで生きててよかったなあと思ったりします。非常に安上がりです!

 

誰もがそれぞれに好き好きな何かがあり、その何かにどハマりしていた一時期があったりもすると思います。そういうことを思い出しながらであれば、結構幸せに死んでいくのだろうなと時々思います。

もしかしたら、過去の自分と接点を持つ瞬間ってのは、その予行練習をしているのかもしれません。

 

(なんていう話を、思いつくままに書き綴っている時が、もしかしたら一番幸せかもしれません!)

 

2年間、文字通りとりとめのない話を書いてきていますが、実は一度も読み返していません。

読み返したら、つい自分で自分に不要なツッコミをしてしまいそうで。

 

あれこれ考えず、その時々を一方通行で楽しむことも、結構楽しいもんだと思います。

嫌なことも面倒な体験もいろいろ発生するけれど、通り過ぎてしばらくしたら適当に美化されたり、「あれも一つの体験だった」などと思えるものなんだと思います。

 

逆に何かに、もしくは何かがつっかかってしまってうまく流れなくなるのが病なのかもしれないなと思ったりもします。

 

小さな場ではありますが、少しずつでも「うまく流れていない」状態から「うまく流れていく」ための小さな助けであれたらいいなと思いつつ、また3年目も皆で頑張っていこうと思います。