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思い出の2月

突然時代を遡って、1985年の2月、振り返ってみるとリリース直後の時期なので、たぶん尾崎豊の「卒業」をよく聴いていたと思われます。

通学仲間たちと「こーの支配からの」とか歌いながら登校していた記憶が残っています。

 

実はこの年のこの時期、卒業というタイトルの歌謡曲がいくつか出ていて、私はどれもこれも好きで、この季節になるとカラオケなんかで歌いたくなるぐらいのお気に入りなんですが、尾崎さんの卒業は、とりわけインパクトありましたねえ。

 

なんとも恵まれたことに、この1985年、私は中学卒業の時期を迎えておりまして、リアルタイムで記憶がリンクしてくれていて、この歌たちを聴いたりすると、いつも中学校の正門前の道や通学路が頭に浮かびます。(なぜか教室は浮かばない笑)

 

おりしも先日の2月某日に、卒後ぶりぐらいの中学の学年同窓会が開催されて、参加してきました。

当時からしっかりしていた子はしっかりしているし、可愛かった子は可愛いし、で、人って意外と変わらないもんだと思いました。その一方、例の卒業ソングばりにやんちゃしてた子たちは、ちょいとやんちゃなおっさんになってたり、普通に働き者の、人のいいおじさんになったりしていました。

 

中学生当時の私は、自分がなにものなのかもよくわからず、最終的に卒業間近に「私はこのクラスから浮いている、いや学校そのもの、周囲の環境全てに馴染んでいない!」ということに気づいて、(ちょっと気づくの遅過ぎなのですが)愕然としていました。

 

そんな暗黒時代、いやまあ遠慮して表現してグレー、ぐらいの思い出になってしまっていた中学時代だったのですが、

 

なんと35年ぶりの中学の友達たちにたくさん会って、「なんか一人でそう思い込んでいただけかも…」と思うに至りました。

 

それどころか、私が忘れ去っていたことを、思いもよらない人が覚えてくれていたりして、すごく温かい気持ちになりました。(願掛けしていたらしい消しゴムを隣の男子に使われてしまって、泣いてたらしいです…ほんまやろか?)

 

こんな日が来ることを、20代30代の自分は、絶対信じられなかったと思います。絶対に自分は孤独だし誰も助けてくれないし、数多いた同級生にだって、なんなら覚えてももらっていないか、記憶に残ってたとしても、ろくでもない記憶かもしれない、って何故だかわかりませんが思ってました、思い込んでいました。

ものの見方って変わりうるもんなんだなあとつくづく思いました。

 

みんな卒後の35年、そんなに平坦な道ばかりではなかったと思うんですよね、そういう話はそうじっくり聞いていませんけれども。

でも、「同級生」ってことでなんとなく繋がっていて、「いやいろいろあったけどこうやって再開できて、おしゃべりできて良かったね」って素直に思えるのは経年変化のなせる業ですよね。

 

意外と世の中って優しいものなのかもしれなくて、孤独感絶望感てのも半分かそれ以上か、ひょっとするとその全てが、妄想幻想なのかもしれないなと改めて思いました。

 

「誰も私の心 見抜くことはできない」と<あみん>のお二人は歌っていましたが、そうでもないかもです。見抜かなくても、なんとなく人の悩みってそこまでバリエーション豊富でなくて、煎じ詰めると「孤独」に行き着いてしまうんではなかろうかと思う今日この頃、

孤独感を和らげるのに何をどうするかのバリエーションがわりと豊富というだけかもです。

 

ここでクリニックのブログってことを思い出して、話をそこにつなげるべく努力をはじめてみるとですが、

 

孤独を和らげるのに助けになるものの一つが、治療薬等々のサポート役のいろいろなものなのかもしれないですよね。助けがある、もしくは助けが「可能性として」存在する、っていうだけで、孤独ばっかりを見つめることなく生きていけるようになる気がしています。

 

1ヶ月以上ブログ更新が空いてしまいましたが、空とか植物とかと同じく、なんとなくそこに存在していることに価値がある、かもしれない存在でありたいです。